梅は咲いたが…
事務所のある実家の梅
一番早く咲くのが黄色の蝋梅、次に白梅、最後に紅梅という順番に咲くので、同時に満開というふうにはなりません
本日、蝋梅は散り始め、紅梅は8分咲き、白梅は咲き始めですが、雪がチラつく寒い朝となっています
今年は雪がよく降りますね
事務所のある実家の梅
一番早く咲くのが黄色の蝋梅、次に白梅、最後に紅梅という順番に咲くので、同時に満開というふうにはなりません
本日、蝋梅は散り始め、紅梅は8分咲き、白梅は咲き始めですが、雪がチラつく寒い朝となっています
今年は雪がよく降りますね
健康住宅そよかぜの家のホームページのデザインを一新しました。
以前のカジュアルなものから、ちょっと大人のイメージにしてみました。
内容的には、今までのコンテンツをほぼ引き継いでいますが、いろいろ新しい工夫をしています。
そよかぜの家のコンセプトをあらためて再認識し、表現してみました。
施工事例を見やすく配置し、一言解説が加わりました。
コラム記事を新設しました。ブログと併せて書き足していきますのでお楽しみに。
毎日バタバタとしていてブログの更新もままならない私ですが、夏休みをとらせてもらいました。
以前からずーっと行きたかった屋久島に、家族で行ってきました。
屋久島といえばやはり縄文杉です。迷わず縄文杉登山を組み込んだのですが、想像以上に大変な道のりでした。
朝4時にホテルを出発し、登山口までバスに乗り、5時半頃から登り始め、延々と山道を歩き続けます。
11時ごろにやっと縄文杉に到着です。
樹齢に関しては諸説あるようですが、7200年というのが有力で、まさに縄文時代初期からここにあるということです。
その存在感は圧倒的で、ものすごいオーラがありました。
下山も同じ道のりを帰らないといけませんので、登山口に着いたのは午後4時ごろ、そこからバスで帰ってホテルに着いたのは5時半ごろでした。
もう足はガクガクでしたが、なんとも言えない爽快な気分でした。
翌日はもものけの森といわれる白谷雲水峡に行きました。ここは軽いトレッキングコースくらいに思っていましたが、なかなかのもんでした。でも距離が短いので、途中川で遊んだりしながら楽しめました。
こんな風景がいたるところにあります。
その他にも、いろんな見どころがありました。
これは千尋ノ滝。千と千尋の神隠の名の由来になったところだそうです。白竜が宿っているそうです。
海は南国のようにきれいな色で、ウミガメの産卵地があります。今の季節は孵化して海にもどる姿が見れることもあるそうですが、なかなか見るのは難しいようです。
今回は3泊4日と思いきって休みをとりましたが、まだまだ見どころはたくさんある島でした。
ガイドの末野さんには4日間お世話になりました。ご家族の方もおおらかで、とてもリラックスした休暇となりました。
お礼にちょっと宣伝を・・・
末野ガイドシステムhttp://www7a.biglobe.ne.jp/~simaoji/
お世辞にも愛想が良いとはいえませんが、なんとも言えない魅力のあるおじさんです。屋久島に行かれる方は、末野さんに相談してみましょう。
模様替えという程のものではありませんが、書棚を造り付けています。
お客様の家では、最近造作家具が多くなって、書棚をつくることもしばしばですが、実はうちの事務所は書類が納まりきらなくなってきていたのです。
3年半前に事務所をこしらえたときは、間に合わせで学生時代に使っていた書棚や甥っ子が使っていたロッカーをつかっていましたが、もともと頑丈なものでもなかったので、たくさんのカタログや書類を納めると、ぼろぼろになってしまいました。
現場では杉の集成材をよく使いますが、こちらはもう少し安いパイン集成材です。節約節約・・・。
明日はさらにコピー機の上にもつくってもらいます。これだけつくれば向う5年は大丈夫かな。
昨日は管理建築士講習を受けてきました。
管理建築士というのは、建築士事務所を総括する建築士のことで、大勢の建築士を抱える設計事務所においては、案件ごとにそれに応じた技量を判断して建築士を配置したり、事務所全体の技術的な面を統括する役割を担う仕事です。これが、私のようにたった一人の建築士で運営する事務所は、その一人が管理建築士ということになります。
講習の内容は、先日受けた建築士の定期講習と重複する部分も多かったのですが、事務所の経営やリスク管理といった部分もありました。
いろんな講習を受けて思うことは、例の耐震偽装の影響を受け、いかに不正が起こりにくいしシステムにするかということが重視され制度が改正されているという点です。
設計・監理・施工が三者独立して(利害関係のない状態で)それぞれが誠実に仕事をすれば、不正は発覚するという考えなのですが、大きな物件を扱う設計事務所やゼネコンなら話はわかりますが、私のような地域密着型の営業スタイルの会社は、これらの制度に当てはめるとものすごく違和感があります。
家を建てる時、お客様は何を基準に業者を選択するでしょう?
ホームページやモデルハウス見学、施工事例などの実績、経営者の考え方、会社の財務状態などなど、さまざまな情報を分析して決めることになるのでしょうが、実際のところ本当にそれらのことを理解することはなかなか難しいものです。
そこで、大きい会社・老舗だから間違いないだろるとか、値引きをたくさんしてくれたからという理由で決めてしまったりするものです。しかし、大手のメーカーでも破たんに追い込まれることは今やしょっちゅうですし、老舗とて同様です。安さを売りにしているところに至っては・・・・。
一方、私のようなスタイルで営業をしていると、お客様から依頼をいただくには、私という人間を知ってもらい信頼してもらうしかないのです。この人になら任せても大丈夫そうだと思ってもらわない限り、受注はないのです。
私にとって最大の強みは、自分ですべてをすることです。もちろん多くの業力業者さんの力を借りるのですが、先に述べた設計・監理・施工管理のみならず、営業・事務・経理、さらには宅建業として土地探し・売買まで、すべてするということです。つまり、家づくりに関することから住み方暮らし方、その後のメンテナンスも含めトータルでサポートしているという点です。しかもその情報はすべて一元管理できているのです。
話は長くなりますが、戦前の日本社会において、ハウスメーカーもパワービルダーも建売住宅もありませんでした。家を建てるといえば、町の棟梁に相談して、棟梁が町の職人を束ねて家づくりにあたってきました。そうして建った家は、100年以上も大切に使われていました。そう、さっき言ったような大きな会社や老舗もなければ安売りするものもおらず、ただ、地域の職人さんたちが自分の仕事を誇り高く継承してきたわけです。
戦後の混乱期、圧倒的に住宅が不足していた時代に、ハウスメーカーや建売が登場し台頭していく過程で、地域の職人たちが疲弊して行きました。いまやよい腕を持った職人でさえ仕事に事欠くような時代になりました。
しかし、何百年というスパンでみると、この50年ほどの間が、異常だったので、元の姿に戻るのではないかとも考えられます。つまり、地域の棟梁と職人による家づくりが必要となるのではないかと私は考えているのです。
私のビジネススタイルは、”現代の棟梁”です。昔は大工の棟梁が家づくりを統括していましたが、今では分業化が進み、技術の発展も目覚ましく、一職方となった大工さんにそれを求めることはできません。それに代わって、様々な職種・施工方法・材料などに精通し、お客様の多様なニーズを理解し、それを地域の職人の技量にあてはめていくという働きをしようとしているのです。このスタイルは、京都府から「知恵の経営」として認証を受けています。建設業でこういった認証を受けている例は他にはありません。
ところが、一連の法改正は私のようなビジネススタイルをまるっきり否定してしまいます。
たとえば、私は家を建てるというごとをしているのですが、そのために、宅地建物取引業、建築士事務所、建設業という3つの”業”を営むことになります。ところが、そのそれぞれの”業”について、専任の取引主任者、専任の管理建築士、主任技術者の常駐が求められます。つまり、厳格に法律を適用すれば、一人では一業種しか営めないということになってしまうのです。
お医者さんでいえば、田舎の開業医は昔からどんな病気でも見てくれるか”かりつけ医”でした。それが、大病院のように、内科・外科・レントゲン科・消化器科などと細かくわかれて専門医・技師を置かないといけませんというっているようなものです。
制度の趣旨はわかるのですが、現実の地域社会をみて、また昔から続いてきた日本ならではのコミュニティーという視点でも考え直してほしいものです。
政権交代で何かが変わるのでしょうか??
今日は5年に一度の宅建免許更新のため、市内の宅建協会に行きました。
朝から宇治市内の現場をまわっていたので少し遅刻をしてしまいました。受け付けにはすでに誰もおられなかったので、そのまま会場に入って自分の席を探すのですが見当たりません。会場内に事務局の方がおられたので尋ねてみると、なんと真ん中の最前列ではないですか!!
しっかり勉強させていただきました。
宅建に関しては、所属している宅建協会が年に数回講習をしてくれますが、いつも実務に役立つ内容です。今回も、居眠りすることなく、興味深く聞かせていただきました。特に紛争事例などは、法律が目まぐるしく改定されるのでとても役に立ちます。
講習終了後、更新した免許証の配布に時間がかかるかと思っていたのですが、意外にも早く終わったので、次の移動場所まで時間の余裕ができたので、久々に市バスを利用することにしました。
実は、京都市バスに乗るのは高校卒業以来です。ということは25年ぶりということにらります。四半世紀ぶりに市バスというものに乗って少し感動モノでした。
均一区間が220円でしたが、毎日のっていたのに当時いくらだったのかも覚えていません。現在自宅近くを走る京阪宇治バスは、この前値上げして180円になりましたが、京都市内に比べるとずいぶん安いのだということに気が付きました。
普段と違う行動パターンで動くとなんだか新鮮な気持ちになります。