京町家
昨日は京都市などが主催する、景観・まちづくりシンポジウムに参加してきました。
今回のテーマは「明日に活かす京町家」でした。
京都では、市が中心となって京町家の調査を何年にもわたって続けているのだそうで、その実態と今後のビジョンについて意見交換が行われました。
内容は、三部構成になっており、一部で調査内容についての報告、二部では分科会に分かれて意見交換、三部でまとめが行われました。
まず、調査報告を聞いて驚いたのですが、現在京町家と呼ばれるものが、4万7千軒もあるということでした。
しかしよくよく聞いてみると、みなさん(私も)がイメージするいわゆる”京町家”だけではなく、戦前につくられた連棟の借家(長屋)・袋地の借家などを含めています。
確かに、これらの建物も、京都あるいは日本のある時代の生活文化をのこす重要な風景であるかもしれませんが、商家の立派な建物やお茶屋建築などのような建築的・芸術的な価値のある建物と一緒にするのは、いかがなものかと思わせます。
言ってみれば、既存不適格の建物群を、評価しているようで、なんとも変な感じでした。
二部の分科会では、景観をテーマにしたところに参加しました。
調査員が選んだ”ベスト町家”の写真がいくつか並べられ、その中からベストオブベストを選ぶという投票が行われたのですが、ベスト3はいずれもお茶屋建築でした。
しかしこの中でも、路地の風景が多数出てきました。
よくよく考えると、数十年前に建築基準法・都市計画法が制定されましたが、これを順守すれば、日本の風景は一変することに他ならないのです。
京都市内だけでなく、地方の都市でも、狭い路地の風景はいたるところにありますし、防災という名のもとに、これらがコンクリートに取って代わって雑然とした風景になっていることは間違いありません。
法律の縛りだけでなく、住む人の生活習慣も大きく変化していますから、生活文化の象徴である住まいも当然変化してしまいます。かつての京町屋は、商家の店であり住まいでした。そこに生活し、商いをするという合理性がありました。それが今はほとんどなくなっています。
夏涼しい町家といわれますが、現代の街並みの中にある町屋が、どれほど風通しがよいのか、またぶっそうなこのご時世窓を全開にして生活することができるのか、ましてや冬の寒さはどうなのか・・・。
そんな中、この前にもご紹介した、平成の京町家プロジェクトがはじまったのです。
今の時代に合わせた、新しい技術を生かした変化を、京町屋も遂げなければいけません。
さらにそれを、まちの景観として取り戻すためには、法整備の見直しを繰り返しながら、何百年もかかるかもしれません。